• vol.1289 フォンテーヌブロー宮殿にみるパスマントリー

    2020.5.4

    ◆フォンテーヌブロー宮殿

    ・前回のコラムに書ききれなかった、ナポレオンの時代のアンピール様式のパスマントリーについての続きです。 ツアー参加でのフォンテンーヌブロー宮殿見学は、時間の制約がある中でしたが、いくつかの部屋のカーテンに飾られたタッセルの写真をご紹介しましょう。

     

    ・このお城は中世の要塞をもとにして、フランソワ1世によって1528年増築され、国内最大のルネッサンス様式の宮殿に変わりました。その後、宮殿には数世紀にわたって歴代の国王が居住しましたので、それぞれが自分の好みに応じて改築を続けた結果、様々な建築が混合して今日の形となっていると言います。600年以上もの継続的な歴史を持つのはこのお城は、一見の価値があると思います。

     

     

     

    ◆宮殿内部のパスマントリー

    ・観光客で訪れる多くの人は、部屋の中の大きな装飾には目が行きますが、窓側の装飾を見る観光客はほとんどいないのではないかと思います<笑>。 ザインや制作は当然プロの手によるものですから、カーテン生地の色に合わせ、時代考証もされたものと考えます。 どの工房で作られたものかは、多分デクラーク社(1852年創業)によるものではなかったのかな・・と、推察しています。 この会社名、きっとタッセルに関心のある方なら名前くらいはご存知かと思います。

     

     

    ・写真に収めたものは、ひょっとしてこれはリメイクされたばかりか(?!)と思わせるようなピカピカの新品同様のものもありました。 保護のためか、ほとんどがビニール袋で覆われていました。 長い時間は、ものを朽ちさせていくという環境であることは否めませんし、それらすべてに修復が必要なので当然のこと。 またその修復には何かしら現代の要素が含まれるのも当然のことです。

     

    ◆「王座の間」のカーテン用タイバックとブレード

    カーテンの縁のグリーク紋様、月桂樹の葉の模様の飾り等、エンパイヤ様式紋様てんこ盛り!

     

    ◆「皇后の部屋」のタッセルと、カーテンのブレード

    女性らしいピンク等を使った明るい色使い、そして華やかなデザインです。

     

     

    次回に続く・・・・。

     

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  • vol.1288 ナポレオン1世とリヨンの織物

    2020.4.30

    ◆革命時のリヨン

    ・マリーアントワネットが断頭台につゆと消えたフランス革命(1789年~)から、国内の混乱状態は20年間続きます。 これまでリヨンに14,000台もあった織機は、4年後の1793年には2,000~3,000台まで減少したとされています。(『リヨン織物美術館』(P227)  ) 。 革命の混乱は国中のあらゆる地域、あらゆる分野にダメージを与えたことは確かです。

     

     

    ◆ナポレオンとリヨン復活、そしてアンピール様式

    革命後、リヨンの織物産業やパスマントリーに与えた影響を語るうえで、どうしてもナポレオンの存在は外せません。

    ・「ナポレオン1世の皇帝戴冠(1804年)は、旧時代の華麗さをいち早くわが物とするべく、宮廷という源流に立ち返ることになった。  1811年1月6日の法令によると、彼は大謁見式や公的儀式の日は、宮廷の廷臣たちは皆絹の着用を命じたのである。 彼にとって公式的な名誉を持っているのは、絹と絹製ビロードのみであり、他国で公式的地位にいるフランス人はそれらを着用しなければならなかった。(『リヨン織物美術館』P227)      確かに、ナポレオンが征服した各地に、親族を支配者として配置してましたから、中産階級出身にとってはその威厳を衣装でカバーすることは重要なことだったのかもしれません。

     

    ・彼はまた諸宮殿(チェイルリー、ルーブル、エリゼ、マルメゾンetc.) の壁面を絹あるいはビロードで飾らせたのである。そのための費用は天文学的な数の織物が必要であった。1804年から1813年までに、フォンテーヌブロー宮殿の為に、600万フラン以上が支出された。」(『リヨン織物美術館』 このことが、リヨン織物業界の復活と新たな輝きを与え、大いに貢献することとなるのです。

     

    ・数々あるお城の中で、過去の王がヴェルサイユ宮殿なら、ナポレオンはフォンテーヌブロー宮殿をを自分の権威の象徴にしようとしていました。 現在、このフォンテーヌブロー宮殿の内部は1980年代より美術館として一般公開され、ナポレオンに関する品々やアンピール様式のインテリアをみることができます。 もちろんこの城は、歴代の王たちも使ってきた城でもあり、さまざまなスタイルのインテリアをも観ることができます。 上述したように彼は重厚な素材(絹、絹ビロード)を好んでいます。 また彼が遠征したエジプトへの興味に加え、古代ギリシャ、ローマ等のモチーフ(月桂樹、雷文、白鳥、鷲、星、蜂等)が沢山使われます。

     

    ↓写真2018年渡仏の際に撮影, 「王座の間」 by Trinity

    ↓写真: フォンテーヌブロー宮殿SNSより

     

     

    ◆現代に残る生地メーカー

    ・革命の混乱で国外に逃れていた職人たちも、徐々に回復するリヨンに戻ってきます。 そのひとりに、カミーユ・ペルノンという人がいます。 彼はジェノバに逃れていましたが、1795年に事業再開のためにリヨンに戻り、1802年のパリ産業博覧会に出品し金賞を受賞します。 そこでナポレオンは、3つの宮殿のために織物制作をために約70万フランを彼に託しています。 3つの宮殿のひとつ、チュイルリー宮殿の玉座の間には、ベルノン氏によって月桂樹で囲まれた皇帝Nの頭文字が、細い金で縁取りされて深紅の縁飾りを制作した。(『リヨン織物美術館』(P228))

    ・ペルノン家は、息子クロードの孫の時代にタシナリ氏とシャルテル氏のふたりに工場を売却しています。 これが現在もリヨンに本社を置くタシナリ&シャルテル社で、現在もシルクを中心にしたファブリックをルリエーヴル社傘下のもと供給し続けていています。 日本での輸入販売は、トミタテキスタイルさんにて取り扱われています。

     

    写真:  Tassinari & Chatel 社HPより

     

     

     

    次回に続く・・・・。

     

     

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  • vol.1287 仏ルネッサンスと南仏リヨン

    2020.4.30

    ◆フランスにおけるルネッサンス

    ・ルネッサンスの巨匠のひとりである、レオナルドダヴィンチは、晩年イタリアでのパトロンを失い、仏のフランソワ1世に招かれたのが1516年。 この時ダヴィンチの年齢は64歳。 居城も与えられ安心したのも束の間、ダヴィンチの余生は3年で終わってしまいます。 彼が最後まで手放さなかったというモナリザの絵。 遺言でフランソワ王に寄贈されたことでフランスの至宝となり、現在ルーブル美術館に飾られている話は、有名な話ですね。

     

     

    ダヴィンチを招聘したフランソワ1世<1515-1547>は、文学や芸術の熱心な保護者として、フランスのルネサンスを支援した王として知られています。  それ以前のルイ11世<1461~1483>は、リヨンで織物産業を普及させたり、鉱山を開発する等、産業政策を行っていますし、次の王であるシャルル8世<1483~1498>は、イタリア遠征をおこない、イタリアの芸術と文化に傾倒し、家具や美術品等とともに建築家、彫刻家、造園家等を連れ帰り、アンボワーズ城の改築を実施。 これらが後にフランソワ1世に引き継がれ、フランス・ルネサンス文化の開花につながっていきます。

     

     

    ここに一枚の絵をご紹介します。 絵の下の説明によれば「王の宮廷, フランソワ1世: 1540年頃」とあり、 王の頭上の天蓋にはフリンジとタッセル飾りを見ることができます。図出展: 『La Passementerie』P133.

    やはりイタリアルネッサンス愛好者だったフランソワ1世の頃には、明らかにタッセル等の飾りが使われるようになっています。 また、私が持っているフランスの書籍の1ページに「Évolution de certains éléments de passementerie」(パスマントリー特定の要素の進化)というページがありますが、やはりルネッサンスからの説明が始まっていて、これについてはまた別のコラムでご紹介したいと思います。

     

     

     

     

     

     

     

    ◆ バロック様式とルイ14世

    ・ルネサンス様式の均整のとれた美しさに対して、17世紀に主流となったのは、豪壮さや華麗さを競うバロック様式に変化していきます。 建築で代表的なバロック建築と言えば、あのルイ14世が建造を指示したヴェルサイユ宮殿が典型的な建築で、その名を知らない人はいないと思います。

     

    ・ルイ14世は、年に2回季節毎に壁布とカーテンを新調することを室内装飾の規範とします。ちなみに春夏は絹織物、秋冬はビロードが採用されている。 王宮からの膨大な需要は、フランスのシルク産業を活気づけたことはいうまでにない。(『インテリアの歴史』本田栄二著, p220)  確かに王以外にも当時の宮殿には、4,000~5,000人の貴族が暮らしていたと言いますから、その消費量たるや膨大な数だったことは容易に想像されます。

     

    ・17世紀中頃まで室内装飾用の織物等は、フィレンツェに発注しています。 しかし、ルイ14世の下で活躍した財務総監コルベールは、宮殿で使うテキスタイルをフランスのシルク産業振興のために、パリとリヨンの織物業者に発注します。 養蚕業を積極的に助成した結果、イタリアを凌ぎ世界の中心的生産地となります。 宮殿を訪問した各国の王室はこれを見て、自分の宮殿で使うための織物をフランスに大量に発注し、コルベールの政策は見事に成功します。 (『インテリアの歴史』本田栄二著, p219)

    ・今でもリヨンの旧市街では、当時の絹織物を作っていた職人の工房跡を見ることができます。2013年コラム→★

     

     

    ◆ ファッションに見られるパスマントリー

    フランスの王朝文化が爛熟したのは、ルイ14世が自ら政治を行った1661年から、フランス革命までの128年間です。 王朝文化はルイ14世没後、ルイ15世、ルイ16世と続いていきますが、この絶対王政が確立されたブルボン王朝です。 後、次第に芸術文化もロココ様式へと変わっていきますが。 この時代は皆さんお馴染みのルイ15世の公妾ポンパドゥール夫人、ルイ16世王妃マリーアントワネットなど、ファッションリーダーとしての活躍ですね。 彼女たちのドレスには、沢山のリボンやレース等に飾られ、マリーアントワネットドレスのスカートには、フェストーン風仕立のひだの中間には金色のタッセルが、そしてスカート裾にはフリンジまでもが付いてます。 飾り立て過ぎ~<苦笑>。 パスマントリーの工房は昔から洋服につけるリボンなどの飾りも作っていたのです。 蛇足ですが、さまざまなカーテンのスタイルが生み出された源流は、実はこのようなファッションがもとになっています。

     

    ・3枚の写真で確認してみましょう。 1枚目はルイ14世です。 『ブルボン王朝12の物語』(中野京子著,)がルイ14世の絵について説明している思わず笑ってしまう箇所があり、是非ご紹介したいと思います。

    「当時ルイは63歳。いくぶん背の低いのがコンプレックスだが、そこは雲を突くばかりのモジャモジャかつらと真っ赤なリボン付きハイヒールで、優に20cmはごまかせる。 若き日にバレエで鍛えた足もいまだ形の良さを保っている。 この時代、脚線美は男性のものだった。 財務長官コルベールが設立した王立マニュファクチャー謹製の絹靴下をはき、最高級レースのクラヴァット(ネクタイの先祖)を巻き、儀式用マントをはおっている。 そのマントを方のところからわざわざ折り返すのは、高価な裏地の白テンの毛皮(アーミン)を見せつけるためだ。 表地にユリの花を金糸で刺繍してある。 同じ生地と模様の椅子の背や、王冠を乗せたクッション(タッセル付 ーここは書いてませんが)、テーブルのカバーにも使われている」(中野, P76~P78)    もちろん、カーテンにもばっちりタッセルが下がってます。

     

    「マリーアントワネット」 ヴィジェ・ルブラン作, ヴェルサイユ宮殿

    ポンパドール夫人、フランソワ・ブーシェ作, The Wallace collection, London

     

    次回に続く・・・・。

     

     

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  • vol.1286 伊ルネッサンス絵画にみるパスマントリー

    2020.4.26

    ◆ ルネッサンスとは何だったのか

    ・「見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発が、後世の人々によってルネッサンスと名付けられることになる、精神運動の本質でした。」 なぜ、それらの欲望が、あの時代になって爆発したのか?     「それまでの一千年間、キリスト教会によって抑えに抑えられていたからでしょう。」(塩野, 『ルネッサンスとは何だったのか』, P14~P17)   これらから想像できるように、ルネッサンス以前は、いかにキリスト教の権威が大きなものだったのかがわかります。

     

     

    ◆ ルネッサンス絵画に見るパスマントリー

    ・キリスト教の考えに反発するかのように、イタリアで興ったルネッサンスは、芸術、思想、建築、ファッション等あらゆる分野に新しい流行が生まれ、14世紀~16世紀にかけ発展していきます。 またこの新しいムーブメントは、200年をかけてヨーロッパ各地域に伝播していくことになります。

     

    ・繊維関係で言えば、この当時絹織物が盛んに織られます。 14世紀の織物の柄は、大柄な植物モチーフ(アザミの花、パイナップル状果実等)が流行しています。 またヴェネツィアやジェノバでは、ベルベットの生産が盛んで、大柄なザクロ紋様が代表的な柄として織られています。 写真上のブロンズィーノ作「エレオノーラ・ディ・トレドと息子の肖像」(1545年頃)の女性の服は、ベルベット生地の質感とザクロ模様を見ることができます。 また、袖にはロープ飾り、宝石も使われていると思われるベルト飾りの先端には、真珠でできているような?”タッセル”を見ることができますね。

     

    ・15世紀、フィレンツェのメディチ家の次男でもあり、ローマ教皇・レオ10世(在位1513~1521年)の彼の写真「レオ10世と二人の枢機卿の肖像」が下。 高い教養を持ち、メディチ家の一員として飽くなき権力欲と、貪欲な富への欲求を持ち続けた人物だったと言われています。 ルネッサンス最盛期と言われる15世紀のこの絵画の中では、椅子カバーにフリンジやタッセルを見つけることができます。 それにしてもマントの下の白い衣装は、絹の豪華な質感を感じることができますね。

     

    上Picture source: ©Web gallery of art

     

    下Picture source: museumanote.com

     

    次回に続く・・・・・。

     

     

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  • vol.1285 中世のタッセル

    2020.4.24

    気になる本を読みあさっている日々。 ずっと気になっていた塩野七生さんの本の数々。 塩野さんと言えば、イタリアの歴史を知り尽くした方として有名ですが、教科書には載ってない歴史の裏側を、彼女特有の文体で記述している文章にどんどん引き込まれていく魅力がある。  (きっとご本人も素敵な人なんだろうなぁ~と想像します。)  読みながら、ちょっと待てよ。 途中からちょっと読む角度を変えてくれたのは、下記の本の一文(青字)。 これを端緒に、是非皆さんとも共有したいなぁと思ってまとめたコラムです。

     

     

    ◆イタリアに持ち込まれたパスマントリー

    『フランス手仕事、名品の物語, マリー・アントワネットが愛した職人技』(石澤季里著, 2018年3月)が出版されている。 きっと手仕事がお好きな人は読まれているかもしれませんね。 刺繍に始まる全12章からなるものであるが、第3章に「タッセル(パスマントリー):視線を集める格あるアクセサリーが記述されている。 その中の一文『十字軍が、1204年に首都コンスタンティンノーブルに攻め込み、絹のパスマントリーを持ち帰った』。との一行の説明がある。

     

     

    ◆ヴェネツィア商人の活躍

    ・この時代はどんな背景があるのでしょうか。 キリスト教ローマ軍が、イスラム教徒に抑えられていたエルサレムを奪還するために派遣された十字軍のお話しは、中学の教科書にも出てきますね。

    ・兵隊の海上輸送を担ったのがヴェネツィア商人たち。 しかしその代金が支払われないとわかると、ヴェネツィア商人たちは地中海でしのぎを削る商人たちのいるコンスタンティンノープル(現イスタンブール)に攻め入ることを要求、拠点を手中にします。 参考: histrace.com

    ・この狙いは、黒海の通商路が開けるとともに、黒海沿岸の魅力的市場が手に入ることでもあるからなのです。 沿岸との交易は、西欧の人々が欲しがるペルシアの絹、香辛料、真珠、ダマスカス産の絹織物(ブロケード)、藍色の染料等を直接買い求め西欧他国に販売。 輸入品はもっぱら原毛。 原毛はヴェネツィアやフィレンツェで高級織物にし、また持っていって売るのである。 ヴェネツィア商業は、仲介貿易を基本としていた。 参考: 『海の都の物語2』塩野七生著

     

    ◆ 略奪品

    ・さて、この第四次十字軍の兵士のほとんどが、フランス諸侯によって編成されています。 当初の行き先はエジプトだったのですが、出発後にヴェネツィアへの支払いができず、契約不履行を凌ぐために行き先を変更せざる負えず、コンスタンティンノーブルへと向かうことになったのです。 戦いは十字軍の勝利。

    ・十字軍は、当時の習慣に従って、部下の兵士たちに三日間の略奪を許します。 当然狙われたのは、金目のものが多くある教会。 豪華な掛け幕の縁飾りの金や、聖具室の金銀の盃等。 また立派な構えの家からは、金銀貨、銀器やじゅうたん、ビロードやブロケードの高価な服、絹や羅紗の布地からエルメリーノをはじめとする毛皮など。 参考、塩野著『海の都の物語1』     これらの略奪品の中には、きっと上記石澤氏がいう絹のパスマントリーも紛れていたかもしれません。 そして、フランス人兵士によつて、本国フランスに持ち帰ったということも十分考えられる話です。

     

     

     

     

    ◆中世のタッセル

    ・1200年代といえば、まだ中世と呼ばれる時代。 当時豪華な衣装を身に着けられる人は、高貴な立場にいる人や権力を手中にしている人たちである。 「イノセント3世(英語)と言えば、ローマ教会の権威と権力を最高にした法王であったと、高校の歴史教科書にも書かれていたことを思い出します」(塩野、ルネッサンスとは何だったのか P25) 

    ・ ラテン語名インノケンティウス3世は、1216年にローマ法王に就任している当時の人物です。 早速この人の写真を探してみましょう。 残念ですが、画像クレジットがかかって有料のようで、ここでは使えませんが、検索結果だけでも確認できます。  こちら→★   イノセント3世の横顔と、その紋章にアレンジされたタッセルを見て取ることができます。

     

     

    次回に続く・・・。

     

     

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  • vol.1284 画家がデザインしたタッセル

    2020.4.21

    ◆ 皆さんいかがお過ごしですか?   人生でこのような時間を過ごすことは、私だけではなく皆さんも同じですが、 長期休暇のような長い時間なのにステイホーム、仕事からも離れ・・・・。 逆に考えれば、これもせっかくの機会だとこれまで積んであった本を片っ端から読んでます<笑>。

     

     

    ◆ 保有書籍の『装飾デザイン事典(A handbook of ornament)』Frants S. Meyerの図118にThe Tasselというページがあります。 この写真は見たことがある方もいらっしゃるかと思います。 Wikipedia「タッセル」の説明ページに使われてもいますね。 しかし、タッセル個々の説明がないので「ま、古いタッセルなのね」くらいにしか思えません。 写真上段の左から2番目(2)、そして同じく上段右から2番目のタッセル(3)は、画家ハンス・ホルバイン(1497~1543)のデザインなんです。

    ホルバインはドイツに生まれ、北方ルネッサンス美術を代表する画家。 スイス、イタリア、リヨンと渡り歩き、最後はイギリスのヘンリー8世の宮廷画家(1536年以降~)でもありました。 16世紀の諸国遍歴は、ルネッサンスの様々な情報を見聞きしたに違いありません。

     

     

    ◆ それにしても画家がタッセルをデザインしたとは、おもしろいですね~。 つい最近購入したイギリスの本にも同じものが掲載されていました!    ハンス・ホルバインは親子で同じ名前ですが、Hans Holbein the Youngerと書かれてますので、息子の方ですね。 説明にA”Turk’s head knot” decorates the top of the tasselとあります。 ムムッ、どこかで聞いた名前、そうカリキュラムにある「ターキーヘッド・タッセル」です<笑>。

     

     

    ◆ 前述の書籍の「飾り房」の冒頭にあった説明が、興味深い。“織物芸術が、自由装飾群へ貢献した主なものは、飾り房(タッセル)、房縁(フリンジ)、そしてレースなどがある”。 確かに、布を織った最後のきれ端処理の糸を束ねれば、フリンジができます。 私の中にある断片的な情報をつなぎ合わせるいい機会かもしれないと思うようになりました・・・。

     

     

     

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  • vol.1277 「はた結び」を再認識

    2020.3.8

    ◆沖縄大宜味村喜如嘉(きじょか)で、唯一織られている「芭蕉布(ばしょうふ)」。トンボの羽のように透き通るような反物を作り、着物等に利用される。 その材料は植物の糸芭蕉を育て、収穫、加工を経て糸を作り、機織りで反物へ。 気の遠くなりそうなプロセスを経て、完成した着物は、素晴らしい!の一言に尽きるものでした。 先日見たNHK番組の「日曜美術館」での放送です。(この番組、好きでよく見てます。)

     

     

     

    糸をつないでいくときの「はた結び」。 私も小さい頃、おばあちゃんの傍らで遊んでいた時、教わった記憶があります。 一回手が覚えたものは、今でも忘れてません。 糸を扱っている毎日を過ごしているのに、使うことをつい忘れていました・・・・<苦笑>。 教室では、作業用糸をつなぐ場面が多々出てきます。 これまでは捨てていた短い糸も、はた結びで結べば、その結び目は小さく、作業の進行を妨げることはないと判断しました。 これから、どんどん使っていきますよ!! <笑>

    今やそのやり方は、YouTube©等に沢山掲載されていますし、気になる方はそちらを参考に。

     

     

     

     

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  • vol.1276 明治天皇の馬車を飾るパスマントリー

    2020.3.1

    ◆ NHKの日曜美術館というTV番組だったと思いますが、明治神宮ミュージアムの展示情報を見ました。 ミュージアムに展示されているという、「六頭曳儀装車<写真>」が写った時、実際に見てみたいと思いました。 『明治22年(1889年)に大日本帝国憲法が発布された折、明治天皇が乗られたという馬車は英国製とのこと。』<取材撮影、文章: 古川幹夫氏 2019年11月5日>より引用。   さすが海外で制作された馬車らしく、また海外でも高貴な方が乗られる馬車用として、豪華なパスマントリー類の飾り付けがされています。

     

     

     

    ◆ タッセルとフリンジが主な飾りのようですが、写真だけではそれらの細部はあまりよく判別できません。 当時に制作されたパスマントリーを見てみたい!! と思わせる写真です。 開催期間は、~3/29までなので、是非訪れてみたいな、と考えています。

     

    写真: 古川幹夫氏

     

     

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  • vol.1275 ベッド装飾にフリルクッション

    2020.2.29

    ◆ 既に納品を終えたフリルクッションですが、ご依頼主のインテリアコーディネーターの方が、セッティングした写真を送ってきてくれました。 (因みに写真の中のランプシェードもお納めさせていただきました。)    お聞きした話によると、米国滞在が長かったお客様との事。 さすが、ベッド廻りひとつとってもおろそかにしない、整ったベッドメイキングですね。

     

     

     

    通常日本ではベッドカバーと呼んでるものは、米語ではベッドスプレッドと呼ばれ、またフリルも米語ではラッフルと呼ばれます。 クッションと同じ生地を使ったカバーと一緒に素敵にセッティングされてます。 フリルのヒラヒラ(苦笑)が、雰囲気に動きを与えてますね。 ご依頼品がどんな風にインテリアに活かされているのか拝見させていただくことは、制作者としてはとても嬉しいものなんです!!     Ms. Tomoko-san, thank you for sending the photo!

     

     

     

     

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  • vol.1273 いまどきのクッションヌード

    2020.2.18

    前回に続き、「いまどきシリーズ」<!? 笑>。 さまざまなものが進化しています。  お客様のご依頼で特別サイズのクッションヌード(中材)の発注。 「フェザー」と「ポリエステル」の2種類の素材の見積を取りました。 なんとフェザーよりポリエステルの方が高い!!     これまでポ リエステル素材にあまりいい印象がありませんでしたが、業者さんから新素材として紹介を受けていたのもあり、また軽さはフェザーより10%も軽いということで、結果ポリエステル素材に決まりました。

     

     

     

    ◆ しかし使い心地の最終評価は、自分で使ってみないと・・・と、自分用の分を自宅で使用中(試用中)ですが、きちんと体をキープしてくれますし、使用直後の”へたり”もなく復元力に優れています。 ひょっとするとフェザーよりいいかもしれません。   いいものはどんどん取り入れていくべきだと痛感しました。 写真は中身の形状。

     

     

     

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